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2015年9月2日水曜日

「考える」もいろいろ

 いうまでもなく、日本の義務教育は小学校と中学校の計9年間。この9年で、みなさんは何を学んだでしょう。教師が教科書などを使って、各教科の基礎となる内容を教えます。さまざまな最先端の研究は、今まで積み上げられてきた多くの知識を土台にしています。この「多くの知識」の部分を、義務教育で学ぶわけです。

 しかし、それだけではありません。考えることも必要です。ここでいう「考える」とは、「自動車が時速 60 km の速さで 30 分走りました。進んだ道のりはいくらになるか、考えなさい」というような「考える」ではなく、答えが決まっているわけではないけれども、自分だったらどうするか、「考える」ことです。

 例えば、いつもの昼食。自分が好きなものだけではなく、きちんと栄養バランスのとれたメニューを考えて選んでいるでしょうか。最近の学生は、アラカルトメニューの中から、バランスのとれたメニューを自分で選べない、と言われています。タンパク質をとるためには、肉もあれば魚もある。そのどちらを選べばいいかで悩んでしまう。

 社会的なことでいえば、選挙権を得る年齢が今までの 20歳から 18歳に引き下げられました。日本の法律では、一般に成人になるのは 20歳と定めていますが、「成人になる年齢も 18歳に引き下げた方がいいのだろうか」ということについて、どう考えますか。

 これらのことは、学校で学んだことを基礎にして、実社会で「考える」ことができるかどうか、が試されています。しかし、ふだんから考えることをしていないと、高校生になったから、あるいは社会人になったからといって、急にできることではありません。そういう練習も、毎日の生活の中で行っていかなければならないのです。

2015年8月31日月曜日

コミュニケーション

 考えていることを他人に伝え、さらに相手からの考えを理解する。そして、そのやりとりが数回続いた結果、その人の「おおよその考え方や人柄」を知らせよう、という行動を、「コミュニケーションをとる」といいます。近年の若い人々はコミュニケーションをとることが苦手だ、などといいますが、それは別に若い人だけに限りません。

 科学の世界にも、「科学技術コミュニケーション」といわれるものがあります。これは、先端科学や専門家が扱う科学技術を、広く市民に伝え、そして市民の考えを研究者たちにフィードバックしましょう、というものです。いろいろな場所で「サイエンスカフェ」などのイベントが行われたりしています。このようなイベントが、科学技術コミュニケーションの一環です。

 日本の文部科学省が目指す科学技術コミュニケーションの方向と、諸外国が目指す科学コミュニケーションの方向は、その国ごとに違っています。科学技術を政策にどう生かすか、あるいはその国の国民性などによって、科学技術コミュニケーションのあり方は違って当然のこと。日本の科学技術コミュニケーションがどんな方向に向かっているのか、あるいは他の国はどうなっているのか、これから少しずつではありますが、このブログで紹介していこうと思います。

 コミュニケーションは、双方向でなければいけません。ブログは基本的にはこちらからの一方通行です。コメントを残す、という機能は付いていますが、これは公開されてしまうこともあり、なかなか使いにくいものなのかもしれません。ときどき、ブログの内容について質問を電子メールでいただくことがあります。そこで、このブログに質問・意見を受け付ける機能を付けました。画面右上の「ご質問・ご意見はここから入力」をクリックすると、質問などを入力することができるようになりました。ご質問、ご意見などをお寄せください。匿名でも構いませんが、返答をほしい場合は電子メールアドレスを記入してください。

2015年7月10日金曜日

久々の良い天気で

 東京は久々の良い天気でした。強い日差しを浴びたのは、いったいいつだったのか、記憶にないほど雨が続いていました。少なくとも1週間は曇りか雨でした。雨もなければ困るのですけれど。

 今日は定例の会議があり、終わりの時刻が午後6時30分を過ぎました。ふだんは午後5時前後には終わりますが、議題が多かったのです。終わって気がついたのですが、そんな時刻でも外はまだずいぶん明るいようです。そういえば夏至はいつだったのだろう、と調べてみると、6月22日(月)だったようです。まったく気が付きませんでした。ということは、これから冬至に向けて昼の長さは少しづつ短くなっていくのですね。
 
 長雨が続き、湿度が高かったせいか、なんとなく気分が晴れません。周囲には風邪を引いている人も多く、マスク姿を見かけます。湿度が高くなることと、風邪を引きやすくなることには医学的な関係はあるのでしょうか。

 どうやら、湿度が高くなると水分が多くなり、体温が下がってしまうようです。体温が下がると新陳代謝のはたらきが低下して、だるさ・疲れ・食欲不振などが起こるようです。また、雨のために外出することが少なくなり、気分転換をする機会が減ることも一因のようです。

 人間も生き物なので、体調に波があるのは当然のことです。少し体調が悪いかな、と思った時は「生体リズムなんだな」と思ってやり過ごすのも一つの方法。それでもやはり、明らかにいつもと違う時には、適切な治療が必要です。無理をしないことも、この時期には必要なのかもしれません。

2015年7月8日水曜日

子ども科学電話相談

 東京は雨が降り続いていて、肌寒い気もする今日この頃。しばらく青空を見ていないように思います。そんな7月でも、やがて夏本番がやってきます。

 今年の夏も、NHKラジオで「夏休み子ども科学電話相談」が放送されます。昨年に引き続き「科学一般」の回答者を務めますが、今週から質問の受付が始まっています。放送はまだ先、7月21日(月)からです。

 この番組、小・中学生からの質問を受け付けますが、入学前のお子さんも質問できます。さらに、番組リスナーには大人「も」多いとのこと。大変ありがたいことです。

 昨年、一人の女の子から質問がありました。その女の子の質問に対する回答者からの話が終わり、アナウンサーの「わかったかな?」の問いかけのあと、何か言いたそうな雰囲気(声だけでもどういう状況か、わかるものです)。私の担当ではなかったのですが、どうしたのかな、と思っていると、「おねえちゃんがいるの」とのこと。どうやら、“私は答えてもらったから、今度はお姉ちゃんから質問があるの…”ということだったわけですね。姉妹仲のよいことはとてもよくわかったのですが、残念ながら、この質問は 1回線につき、1人だけなのです。「また電話してね」とアナウンサーが話して、わかってもらえました。

 今年はどんな質問が来るのか、大きな期待感と、わずかな恐怖感を覚えながら、当番日を待っています。さて、そろそろ質問に備えて、とりあえず想定問答集でもつくろうかな…

2015年7月6日月曜日

忘れ物

 今日、非常勤講師で出かけた大学に、授業で使用した iPad を忘れました。授業の帰りに大学からほど近い千代田区四番町で仕事の打ち合わせをし、その後、電車に乗って日本橋の書店で本を買いました。今日はこのまま電車に乗るのだからと、ずっしり重い本を買い、iPad が入る保護ケースを見たとき、そういえば大学から帰るときに iPad を入れた覚えがないことに気がつきました。

 しかし、どこに置いたかまったく記憶がありません。こんなとき、iPad を探すツールがあることを思い出しました。よかった、よかった。と思いきや、このツールは紛失した iPad が電波の強いところにあれば、非常に狭い範囲を示してくれるのですが、電波が弱い場所では範囲がかなり広くなります。実際に探してみると、確かに大学(三番町)付近にありますが、その範囲は四番町にまで広がっていて、さらにその円の中心は交番付近。さて、あなたならどうします? 「そもそも忘れませんから」という声が聞こえてきそうですが。

 結局、授業をした大学に戻ると、守衛室に預けられていました。私の授業時間の次に授業をした担当教員が届けてくださったとのこと。この iPad はいつも授業で使うので、見つからなければ大変でした。よかった、よかった。

 守衛室に届けられた忘れ物は、すべてリスト化されていて、引き取るときには学生番号と名前を書くそうで、大変恥ずかしながら、学生番号のところには「教員」と書いて、名前を書いてきました… もう忘れないように、なんとか気をつけねば。

2015年7月5日日曜日

BBCを日本でも

 BBCをご存知ですか。British Broadcasting Corporation の略で、英国放送協会と訳されます。日本のNHK(Nippon Hoso Kyokai の略、英語名は Japan Broadcasting Corporation) と同じように、BBC の英国内向けの公共放送は受信料によって成り立っています。

 ただ、この受信料の制度は日本と本質的に制度が違っています。イギリスではテレビやビデオデッキなどの放送を受信する機械を購入するとき、許可証が必要で、郵便局で購入します。この制度を採用しているため、英国国民の受信料納付率は 98%だとか。

 BBC のニュース報道やドキュメンタリー番組は、その質の高さが高く評価されています。特にニュース報道は、中立性が保たれていると言われており、これは受信料が英国国民が支払ったものであり、政府や企業の支援を受けていないために実現できると考えられています(海外向けラジオ・テレビ放送は、英国外務省からの交付金)。

 この BBC放送のうち、BBC World News が私の住む地域のケーブルテレビ局でも配信されることになりました。24時間の放送は、ほとんどすべてニュースで占められていますが、週末はドキュメンタリー番組が放送されているようです。アメリカとメキシコの国境を越える移民についてのドキュメンタリーや、ブルータリズム(建築で打ち放しコンクリートなどの素材や設備をそのまま見せる建設技法)の特集番組、あるいは旅行番組なども放送されるようです。

 自然科学のドキュメンタリーが放送されればいいなぁ、と思っていたのですが、あまり期待できないようです。それでも、世界中のニュースが流れるので、なかなか興味深いものがあります。今、もっとも放送時間を占めているのは、ギリシャの国民投票の話題。非常に高い投票率だったようですが、どうなるでしょうか…

2015年6月15日月曜日

電車が止まると

 月曜日は大妻女子大学へ非常勤講師に出かける日ですので、今日も昼前には八王子を出て、市ヶ谷へ向かいました。授業を終え、市ヶ谷の法政大学に立ち寄り、丸の内で用を足し、中央線で東京駅から西八王子駅へ帰宅。午後6時前に東京駅を出たので、7時あたりに西八王子駅に着くはず。

 電車の中では本を読むか、あるいは居眠りするか。寝過ごすと困るので、読書をしておりました。熱中していたせいか、あるいは無になってしまった(?)せいか、電車が吉祥寺駅でしばらく止まっていることにしばらく気がつきませんでした。車内アナウンスでは、「これからおよそ10分ほど停車する」と言っています。高円寺駅で人身事故があったとか。

 中央線は事故が多い路線と聞きますが、こうなっては動き出すまで待つしかありません。15分ほど遅れて動き出しましたが、再び豊田駅で停車し、「現在、遺留品を捜索中で中央線は全線で運転を見合わせています。先に出発するのは、向かい側のホームの電車になります」というアナウンスが。折しも帰宅ラッシュの時間帯。運転を見合わせているので、各駅に電車が止まっており、すぐに通常ダイヤに復旧できないのでしょう。

 ホームでは、家族に状況を伝えたり、この後の予定を変更するために電話で話す人が大勢います。20年前にはこういう光景はなかったのだろうと思いながら、向かいの電車に移動しました。混んでいて座ることができず通路に立っていると、すぐ前に、歯医者の予約を変更するために電話をしている人がいます。後ろには小さな子供がぐずっています。長い待ち時間に耐えられなくなったのでしょう。こういう待ち時間、どうにもならないことはわかっていても、いらいらするものです。

 今回の人身事故はどういう事情かはわかりませんが、多くの人を巻き込んでしまう事故はやめてほしいものです。

2015年6月11日木曜日

う〜ん暑い…

 毎週木曜日は物理学の授業があります。午前中なのですが、学生たちが講義室に集まると(授業を受けるので集まってくれないと困るのですが)、暑くなります。今日、私が暑くて我慢できなくなりました。空調機器の設定は 28℃ なのですが、講義室への集まり具合で事務の方々が室温をこまめに調整しています。しかし、急に人が集まると温度の上がり具合も急になります。どうやら、多くの学生が集まったため、室温が急上昇したようです。

 事務の方々にお願いして、空調を効かせてもらうようにお願いしたところ、じき室温が下がりました。おかげで熱中症にならずに済みました。

 さて、人間は熱を発生しています。講義を聞いて座っていても、周囲に熱を放出しています。私たちは食物を摂取し、それをエネルギー源として活動しています。摂取エネルギーのおよそ 75% が熱として放出されるそうですが、どれだけの熱量が出ていくのでしょうか。かなりの割合が熱として放出されているようです。

 手元の資料をめくると、人間の発熱量は 1時間当たり 50〜100 kcal になるとか。身の回りの電気製品と比較すると、100Wの白熱電球と同じ程度だそうです。ということは、450人いると、450個の白熱電球が光っているときと同じ熱が発生している、ということになります。これは考えただけで暑くなります…

2015年6月9日火曜日

国際電話

 今日、韓国に出かけている知人のM氏から国際電話がありました。かつて、海外からかかってきた電話の場合、「ナンバーディスプレイ」のように番号が表示される機能をもつ電話機をつかっていても、「通知不可能」のように表示されたものです。最近は海外からの電話でも、正しく相手の番号が表示されます。そのため、M氏が韓国にいることに気がつかず、「これから出国なのかな」などと思って電話に出ると、「今、韓国に着いたんだけど」と言われて初めて、国際電話と認識しました。

 ところで、国際電話をかける時、相手の国番号を正しく選ばなければなりません。日本は “81”、イギリスは “44”、韓国は “81”、アメリカは “1” が割り当てられています。例えば日本からイギリスに電話をするときは、次のようにダイヤルします。
 001 44 3700 100 212 (BBCのtextphoneの番号です)
最初の 001 は、国際電話の会社を指定するための番号です。001は KDDI を表します。その後の44 が、相手国の番号です。

 これらの番号はどのようにして割り振られているのでしょうか。

 これらの番号は、国際電気通信連合(International Telecommunication Union:ITU)によって定められています。ITU はその経緯を1865年に創立された万国通信連合まで遡ることができるため、世界最古の国際機関と言われています。ITU の役割は、世界各国が通信を行うために統一的な規格を定めて円滑に通信を行うための標準化、無線周波数帯の割当て、国際電話を行うための各国間の接続を調整などを行っています。

 日本の “81” などは、「国際電話番号」と呼ばれていますが、この番号は各国をエリアごとに分け、番号を振っています。
  ゾーン1:北米・カリブ海およびマリアナ諸島の国
  ゾーン2:アフリカ大陸の国およびいくつかの大西洋の島々
  ゾーン3:ヨーロッパ
  ゾーン4:ヨーロッパ
  ゾーン5:メキシコ、中南米、西インド諸島
  ゾーン6:東南アジア、南太平洋、オセアニア
  ゾーン7:ロシア
  ゾーン8:東アジアおよび通信衛星を利用した国際移動通信
  ゾーン9:西南アジア、中東
地図で示すと下の図のようになります。

国際電話番号の一覧


 東アジアは “8X” のように、80番台が振り分けられています。ちなみに韓国は “82”。世界全体で決めたルールに従って、問題なく通信が実現できるように工夫されているわけです。

2015年6月8日月曜日

東京も梅雨入り

 今日、午後3時頃に時事通信のニュースサイトからメールが来ました。「気象庁は、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した」というものです。そのとき雨は降っていませんでしたが、夜になってから雨になりました。

 梅雨時になると心配ごとは、洗濯物でしょうか。きちんと乾かさなければ臭います。これは、湿った状態の洗濯物で雑菌が繁殖し、そのときに菌がつくりだす物質が臭うためです。洗濯洗剤に殺菌剤が配合されたものや、漂白剤を使うことでこのようなことを抑えることができますが、湿った状態になっている時間が長ければ、それだけ菌は繁殖するチャンスを得るわけです。つまり短時間で乾燥させることが大切。乾燥機などを適切に使って、この梅雨時期を乗り切りたいものです。

 さて、梅雨入りになると梅雨明けが気になります。5〜7月の長期予報では、7月は梅雨前線はなかなか北上せず、関東地方では例年よりも雨が多いとか。この時期に適切な降水量がないと、農作物への影響もありますので、多少のぐずついた天気は仕方がありませんね。

2015年6月1日月曜日

終電近くの中央線

 今日は知人と打ち合わせを終え、遅目の夕食を取っていたために、終電近くになってしまいました。こんなに遅くなったのは久しぶりですが、楽しいひと時でした。

 終電近くなると、ふだんは見られない景色を見ることができます。例えば、電車。東京近郊の方はご存知でしょうが、中央線快速はオレンジ色、中央線各駅停車は黄色のそれぞれラインが入っています。終電近くになると、ふだんは黄色い電車が走っている線路を、オレンジ色の電車が走ります。いつもと違う光景を見ると、なんとなく楽しくなります。調べて見ると、早朝・深夜はこのような運行形態を取るようです。

 この中央線は、運行ダイヤの正確さを誇る日本の鉄道の中で、定時性の悪い路線として知られています。混雑すると遅れますし、時には事故もあるようです。混雑するとなぜ遅れるのか、私自身よく理解していなかったのですが、混雑すると早く電車に乗りたいために、駆け込み乗車をする人がいます。このとき、カバンや傘がドアに挟まれると、電車は一度閉じたドアを開け、確認後に再度ドアを閉めます。この時間のロスが、遅れを招きます。時には確認のために開いたドアに、再び誰かが駆け込み、これを数回繰り返すことも。

 わずかな時間のロスでも、積み重なるとずいぶん長い時間になってしまいます。無理な乗車は行わず、駆け込み乗車は止めましょう。

2015年5月28日木曜日

なくし物

 最近、大事なものをいくつか紛失させてしまいました。一つは印鑑。印鑑ケースは大事なものだからと、どこかに保管したことは覚えているのですが、場所が思い出せません…

 この印鑑は銀行に登録していたものだったので、気づいてすぐに改印手続きをしましたが、そこで問題が。いつまで経っても、オンライン取引ができないのです。手続きが終了するまで約1ヶ月かかると言われていましたので、じっと待っていましたが、さすがに支障をきたすので支店に電話をすると、どうやら先方の手続きに不備があったようで、電話をしているうちに使えるようになりました。

 続いて紛失したものは、ある団体の会員証。こちらはとても大事なもので、いろいろな場面で利用する必要があるものでした。まさか紛失するとは考えてもいなかったため、かなりショックを受けました。印鑑同様、大事なものだからということで、やはりどこかに入れたことは記憶があるのですが、それ以降、どこに入れたかを思い出せない…

 この会員証は不正利用を防ぐため、証明写真が必要です。どこかで撮影してこなくてはなりません。インターネットで証明写真を検索すると、ずいぶん撮影金額に差のあることを知りました。何が違うのでしょうか。写真写りの悪い私は、高いほうがよく写るのだろうかと、ついつい高いほうへと目がいってしまいますが。

 これからは、大切なものはどこかにまとめて置いておいたほうが、安全かつ確実なのかもしれないと、置き場所を考えているところですが、一体どこがいいのだろう…

 

2015年5月24日日曜日

つながらない iPad ?

 先日、愛用の iPad がインターネットに接続できなくなりました。Wi-fi は接続できるのですが、契約しているデータ通信機能が起動しないようです。契約は Softbank でしたから、店頭に行って尋ねると、「SIMカード不良かもしれませんので、SIMカードを交換する必要があります。ただ、ここには在庫がありませんので、Softbank の直営店に行ってください」とのこと。直営店とは、東京駅や銀座など、大規模な店舗とのこと。

 言われたとおり、直営店に行きました。同じことを説明すると、SIMカードを交換してくれました。ところが、交換しても同じ現象で直っていません。すると、「これ以上はどうにもできませんので、Apple Store に行って、修理を依頼してください」とのこと。

 言われたとおり、今度は Apple Store に行きました。修理のコーナーは、予約が必要だったようで、突然来てしまった人は、並んで予約を取る手続きが必要です。待つこと 30分。これから取ることができる予約は、5日後になるとか。毎日使うものなので、ちょっと困りましたが、とりあえず予約を入れました。

 歩き疲れて喫茶店に入り、少し考えてみると、iPad の設定のところで「通信のリセット」という選択項目があります。「この作業をすると直るかも」という期待を込めて、リセットして再起動を待つこと数分。無事に直りました…

 結局は自分で直すことができたわけですが、ここまで来るのに電車で移動し、店から店へと歩き、待ち時間を耐えるという行動はすべて無になってしまいました。もちろん、「リセット」という作業を私自身がすぐに気がつけばよかったのですが、店の人も一言、言ってくれればよかったのに、と思うのは私だけでしょうか。

 Softbank にせよ、Apple にせよ、さまざまな製品が販売されており、担当者がすべての機能を覚えるのはすでに限界でしょう。使う人がしっかり認識していないと、スムーズなトラブル回避は難しい時代なのかもせれません。

 それほど頭にこないのは、iPad が直ったからかもしれません。よかった、よかった。

2015年5月22日金曜日

デジタルとアナログ

 昨今はデジタルで仕事をすることが当たり前。出勤したら、まずはパソコンの電源を入れて、電子メールの確認。必要なメールの返事を出して、本日の予定をインターネット上のグループウェアで確認。グループウェアには、同じ部署の人々の予定も表示されます。「△△さんは外勤なのか。」とここで知ることもあるでしょう。

 遠く離れた支店の人を、インターネットで結んで遠隔会議を行うこともできます。さらには会議室の予約や、社内食堂の予約も、目の前の端末からできたりするそうです。

 さらに出退勤もパソコンの電源を入れたとき、切ったときを自動的に記録し、そのデータが自動的に人事担当部署に送信されることで、出勤簿やタイムカードを使わないシステムも存在します。

 電子メールは昼夜を問わず送信され、本人が確認しようと思えば真夜中だってどんなメールが来ているか、確認できます。今はスマートフォンの普及で一層簡単になりました。退勤後は、自分の時間だからと電子メールを読まないように心掛けていても、「後で電子メールを読んでおいて」と上司に言われたら、読まずにいられるでしょうか。

 デジタル社会は私たちの仕事のスタイルをずいぶん変えました。もう少し、アナログの時代だったころを振り返って、紙のノートに書き留めたり、人と電話をしたりすることを重視できないでしょうか。真夜中まで日中と同じことを要求したり、されたりすることが本当にいいことなのか、考える時期に来ているように思います。

 私の職場は、過度なデジタル社会ではなく、それなりに快適な職場です。しかし、そういう職場は「世間からずれている」と批判される可能性があるとか。働き方を社会の中で統一する必要がどこにあるのか、私にはまったくわかりませんが。

2015年5月20日水曜日

「だし」を飲む

 NHKで「英国一家、日本を食す」というアニメ番組を放映しています。フランス料理の専門家だった英国人の主人公マイケルが、日本食を取材するため、日本に滞在しながら、さまざまな日本食を味わうという物語です。天ぷらや焼き鳥、かつお節などの日本食が登場し、日本料理にはどれだけ手間がかかっていて、いろいろな工夫が凝らされているかをコメディータッチで描かれています。

 和食が無形文化遺産に登録される前から、「和食を見直そう」ということが言われてきましたが、皆さんはふだんの生活でどれくらい和食を取り入れているでしょうか。日本人であれば、当然和食を食べる機会も多いことでしょう。

 和食は「だし」が決め手と書かれている本もありますが、皆さんは何からだしをとりますか。一般的には、かつお節、こんぶ、煮干などを使うのでしょうが、化学調味料を使う人も多いとも言われています。多忙な現代では、すぐにだしを作ることができるものが便利かもしれません。

 私が小さかった頃、祖父がかつお節の削り方を教えてくれ、よく削りました。最近はこういうことをする家庭も少ないかもしれません。削りたてのかつお節をよく食べたことを思い出します。

 先日、羽田空港の飲食店で食事をしたときに、食前のお茶の代わりに「だし」が出てきました。私には少し塩分が多い気がしましたが、こういう使い方もあるのかと少々驚きました。ときどきはこのような変わった飲み物もいいかもしれません。

2015年5月10日日曜日

印鑑と判子

 日本社会はハンコ(判子)の社会とも言われ、さまざまな書類にハンコを押すことが求められています。なかには、「こんなものにも必要なのか」という書類もありますが。最近はハンコではなく、本人自署でよいものも増えています。先ほども、ハンコをつかなければならない書類を 2通作成しました。

 「この書類は本人が作成したものである」ことを証明するハンコですが、実際はハンコはいくらでも市販されています。それよりは、本人の署名のほうが、本当は確実な証明になるはずです。日本には「印鑑登録・印鑑証明」という本人を証明する公的な方法があり、この制度がある限りはハンコ文化は消滅しない、ということかもしれません。

 さて、「ハンコ」「印章」「印鑑」と、似たような言葉がありますが、この違いはご存知ですか。「ハンコ」と「印章」は同じもの。象牙や木材、合成樹脂などに名前などが彫られたものが「ハンコ」。これを正式には「印章」といいます。

 一方、「印鑑」とは、印章の印影のうち、役所や銀行などに登録された印章の印影のことを指します。つまりは、印章が押された二次元の印、ということです。そうなると、日常的によく使われているような気がする、「印鑑をもってきてください」という言い方は間違っていることになります。正しくは「印章(ハンコ)を持ってきてください」というわけですね。

 「認印」という言葉は何を指しているのでしょう。役所に登録(印鑑登録)した印章のことを「実印」といい、不動産の売買など、極めて限られた場面でしか使用しません。それだけ重要な印章ということになります。認印とは、印鑑登録された印章ではない印章を指します。何にでも使える印章、ということでしょうか。

 街で ◯◯印章店、というのは見かけますが、◯◯印鑑店 というものが存在しないのは、こんな理由だったわけです。

2015年5月9日土曜日

環境を整える人々

 芝生には手入れが必要です。ここ多摩キャンパスにも、広大な面積の芝生が植えられています。研究室や教室から見える美しい芝生は、もちろん目の保養にもなりますし、ときには学生たちが昼休みに寝転がって休んでいたりもします。

 これらの芝生の手入れをしてくださっているのは、写真の方々です。このような芝生には、風に乗ってどこからか飛んできた植物が芽生え、どんどん広がっていきます。いわゆる「雑草」です。美しい芝生を維持するためには、それらの植物は取り除かなければなりません。「雑草という植物はない」という意見もありますが、芝生となっていない場所には、そのような植物もしっかりと根を張っています。

5月7日(木)朝、経済棟付近で。

 どのような場所でも、その場所の役割や機能に合わせて環境を整えるには、人手が必要です。大学には、私たち教員や、事務作業を行う人々、食堂や売店で働く人々だけでなく、写真のように環境を整えるために働く人々も不可欠です。

 自然環境も含めた広い意味での環境は、放っておけばどんどん変わっていきます。望ましい方向に変わることもありますが、そのような例はごくわずか。長い目で見て、自然環境をどのようにデザインするかを考えながら、行き当たりばったりではない方法で環境に手を加えていかなければ、荒れ放題になっていきます。これは、人間にとっての教育と同じことでしょうか。

2015年5月4日月曜日

季節感あふれる食べ物といえば

 東京にいると、季節に関係なくさまざまな食べ物を入手できます。野菜は年中、なんでも食べられますし、果物だってそうです。もしかすると、東京だけの話ではなく、日本中どこでも、特に大都市では当たり前のことなのかも知れません。

 日本ははっきりとした四季があるため、季節と色の関係や、俳句の季語など、季節感を重視した生活があります。その時期でなければ味わうことのできないものは近年の生産体制の中では次第に少なくなりますが、大切にしたいものです。季節感を大切にする食べ物のなかに、和菓子があります。和生菓子は日本古来の伝統技術を駆使しながら、見た目も美しく、季節感あふれる仕上がりに作られています。日本では年中行事ごとに決まった和菓子があります。

 5月5日の端午の節句には「ちまき」を食べるのが習わし。ちまきには厄除けの意味も込められており、西日本では広く食べられている季節の和菓子です。一方、この節句に食べる和菓子として、関東地区の人々には「かしわ餅」の方が馴染み深いかもしれませんが、かしわ餅はもともと関東地方で生まれたものとか。日本経済新聞によれば、近年はコンビニエンスストアなど流通が発達したおかげで、かしわ餅の勢力が広まってきているとか。東西の勢力分布も、現代の流通の拡大で書き換えられているのですね。

 みなさんは、明日の端午の節句、「ちまき」それとも「かしわ餅」のどちらでしょうか。私はどちらでも、できれば両方、でしょうか…


2015年4月30日木曜日

偏頭痛

 私はときどき、片頭痛(または偏頭痛とも書きます)に悩まされます。月に 2回ほどではありますが、なかなかつらいものがあります。かつては週に 5回以上の頻度だったので、それに比べれば、はるかに楽ですが、痛いものは痛い。

 片頭痛とは、一般に頭の片側が心臓の拍動とともに痛みを感じるもので、両側に痛みを感じる人もいます。下を向くとなおひどくなり、人によっては頭痛の前に光が見えたり、耳鳴りがするとか。私はそのような前兆はないので、あるとき突然頭痛がやってきます。

 片頭痛の原因は、脳の血管が拡張して、脳の組織を圧迫するため。このとき、脳の血管が拡張する直前には、収縮することが医学的にわかっています。頻度の多い片頭痛の患者のために予防薬が開発されていて、この薬は脳血管の収縮を妨げるようにはたらきます。この予防薬を飲んでいても片頭痛は起こりえます。そんなときは、片頭痛にたいへんよく効く痛み止めが開発されているので、それを飲むと速やかに痛みを抑えることができます。しかし、この痛み止めは頭痛が起こってから20分以内に飲まないと効かない、という弱点もあります。

 今日の久々の片頭痛は、かなりの痛みを感じましたが、特効薬のおかげで速やかに回復しました。新たに開発された薬の恩恵にあずかることができたのですが、この特効薬はけっこう高価です。もちろん、健康保険も適用されますが、この連休中はできれば薬を飲まずに元気に過ごしたいものです。

2015年4月29日水曜日

昭和の日

 今日からゴールデンウィークが始まった人も多いとか。4月29日は「昭和の日」と呼ばれ、祝日です。私は今日まで、この日は「みどりの日」だと思い込んでいました。みなさんはいかがでしょうか。

 4月29日は昭和天皇の誕生日であり、昭和時代は「天皇誕生日」と呼ばれていました。平成の時代(1989年〜)になると天皇の誕生日は12月23日に変わりました。そのとき、4月29日を平日ではなく「みどりの日」として祝日にしました。ゴールデンウィークの最初となることの多いこの日を平日にすると、国民生活に影響が大きいと判断されたため、祝日法が改正されたとか。

 しかし、「みどりの日」が 4月29日なのは 2006年までです。実は、1986年から5月4日は「国民の休日」ということになっており、3〜5日の3日間は休日になっていました。2007年からは「みどりの日」が5月4日に移動し、「昭和の日」が 4月29日になりました。ということは、私の頭の中は 2006年で止まっている、ということになります…

 多くの企業や役所などは休業ですが、最近は大学の授業は「授業時数の確保」ということで、通常どおり授業が行わることがあります。私が学生だった頃には考えられない状況ですが、これも時代の流れなのでしょうか。