中学校の理科でも学習する内容ですが、この分野で多くの「脱落者」がでると言われています。日常生活で使う「仕事」という言葉と、物理で扱う「仕事」とは概念が違うためです。
物理学での「仕事」とは、
仕事 W [J]= 力の大きさ F [N] × 移動距離 s [m]
で定義されます。どんなに力をかけていても、物体が動かなければ「仕事」は 0、つまり【仕事をしたことにはならない】のです。
ウェイトリフティングを考えましょう。選手は床に置かれたウェイトを、力をかけて頭の上に持ち上げます。このとき、選手はウェイトに対して物理学でいう「仕事」をしています。ウェイトが移動していますね。
ところが、ウェイトを持ち上げている間、選手は確かに力をかけているにもかかわらず(日常生活でいう「仕事」をしているはずなのに)、物理学でいう「仕事」はしていません。ウェイトは移動していないからです。ここが、つまずくポイントのようです。物理学での仕事は、あくまでも
力の大きさ F [N] × 移動距離 s [m]
で求められる物理量なのです。そんな仕事を学習した後、「物理学でいう仕事は、極めて成果主義的であり、経営者が [J] のような単位を社員の評価基準に用いたら、すさまじい環境の職場になるだろうと思った」と述べた学生がいました。私自身はこういう考え方をしたことはなかったので、初めは意味が分かりませんでしたが、読み直して理解できました。なるほど。
たしかに、人間社会がすべて成果主義になってしまったら、それはそれは大変なことになりそうな気がします。そんなことを考えていると、『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐・著、メディアファクトリー・出版)という題の本があることを思い出しました。「働かないアリがいるからこそ、組織が存続していける」という内容が書いてあるらしいのですが、このことは人間社会にも当てはまるのでしょうか・・・?
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